望む望まざるに関わらず。

人には生まれ持ったものがあります。
人は望む望まないに関わらず、それにとらわれて生きていくものだと思うのですが。


先日、ネットである女性歌手に関する記事を見ました。
谷村奈南
この名前を聞いて、「あ〜あ〜あの!」と思った人もいるでしょう。


そこなんです。そこが彼女に課せられた宿命というかなんというか。


ひとことで言えば、「歌手としては不必要なまでのbodyを与えられてしまった」というか。ネットで彼女に関する検索記事を見れば、すぐに目に付くのが「G-cup」という文字。


Gって。グラビアアイドルじゃないんだから。


しかも今回彼女の新曲「Jungle Dance」はもうその奇跡のバディを前面に推していこうという制作サイドからの意思が明確に感じられるものとなっており、実際そのかいもあって「HEY!HEY!HEY!」のエンディング曲に採用されました。


ただ・・・どうなんだろう。
自分がもしこの子を売り出す側だと想定して考えてたんだけど、どうやったらいいのかがすごく難しいと思ってしまったのですよ。


歌手の場合は、ダントツの歌唱力を持っていれば、多少ルックスがピーでも問題なくそれで売り出していくことができます。

じゃあこの子がどうか、というと、もちろん下手じゃなくて平均以上の歌唱力は持ってるんだけど、でもプロの世界にはこの子よりうまい子はいくらでもいる感じなんですよね(主観です)。新曲も残念ながらよくあるタイプの曲でした。


セクシーと同性人気は両立しない、という下馬評からのし上がってきた存在として倖田來未がいると私は思うのですが、彼女はほどほどのナイスバディでありながら、あっけらかんと恋愛論を語るところや、自ら認める「化粧落としたら大変」というような若干のルックスに関する自虐感も持ち合わせていたことで、同性からの共感を集めた部分は多いと思うのですよ。


グラビアアイドルがどうして女性から共感されないか、という質問に対する答えを考えてくれれば少しずつ結論は見えてくると思うのですが、例えばほしのあきが何で女性にも「ある程度」受け入れられているかというと、年齢がすでに30歳越えという部分における共感もしくは憧れと、かつて付き合っていたJリーガーに深夜呼び出されておもちゃにされてコトがすんだら即帰された、というような痛い過去をカミングアウトしていることで、そんな扱いを受けたこともあるんだ〜的な女性からの同情を得た部分はあると思うのです。でもやはりある程度の共感にしかならないのです。
ほしのあきに対して熊田曜子が女性からの共感を得られないのは、そういった女性からの共感を得る要素がまるでないからだと個人的には思っとります。私は熊田好きですけど。どうでもいいですね。


さて話を谷村奈南に戻しましょう。
彼女ねぇ、女性からの共感を得る要素が今のところ全くないんですよ。


もちろん男にも好みの問題はありますが、男から拒否されるはずのないバディやルックス、現役の青学生というブランド&若さがあります。


これが全てトンデモないところまで突き抜けてしまうと、むしろ女性はビヨンセに対してもつような「憧れ」を抱くようになるのですが、残念なことに彼女はそこまでは達してないんですね、トータル的に。


で、しかも今回の曲で、待ちきれなくなったスタッフ(もしくは本人?)が、「Gカップ」という伝家の宝刀を抜かせてしまった。水着姿にさせたのは間違いなんじゃないのかなぁ。

俺だったら。俺だったらね。
ボディラインはわかるんだけど決して谷間はチラ的にしか見せない、っていう路線でもう2〜3曲引っ張ってれば、自然と周りが注目してくれたと思うんだよね。思わせぶりでじらしてけば良かったのに。

だって、次どうするの? もうやることないよ? という感が否めないんですよねぇ。


ちなみに「HEY!HEY!HEY!」に出たんでしょ?どうリアクションしたんだろ。
あのプロフィール見て浜ちゃんがセクハラしないはずがないですからねぇ。
それを嫌がらずにしっかりのってけたかどうかが大きいと思いますが、のってっても女性には「ちっ」と言われるし、のらなければ男性から「けっ」って言われますからもう八方塞がりのような気も(笑)。


これ以上語るには彼女の「トーク力」を見てからでないとダメですね。
しかしいつから歌手に「トーク力」が求められるようになったんでしょうwそんなことを思いつつ今日はこれまで。