「自己演出」について。

ある小冊子で最近の郷ひろみの独占インタビューを読んだのですが。

「どの曲というよりも、全てに思い入れはあります。
たとえば『お嫁サンバ』は、はじめ「イチ・ニ・サンバ」という詞を見たときは「これはどうなのかなぁ?」って思いましたけど、当時のプロデューサーの方に「これを歌うのが、郷ひろみなんだよ」って言われ、結果として郷ひろみ、のエンターテイメント観みたいなものが芽生えたような気がします。
また、『GOLD FINGER'99』に至っては、「アーチーチー」というフレーズを増やすように僕からお願いして、それによって、郷ひろみのエンターテイメント性を表現できたと思っています。リッキー・マーティンの曲ではない、郷ひろみの楽曲として完成されたものですね。
だからあそこまで大勢の方が「アーチーチー」というフレーズを口ずさんでくれたと思っています。
これも『お嫁サンバ』を体験したからこそ、できたことなんでしょうね」

「僕は郷ひろみという人間であるために、何が必要か、ということをやっているだけです。それが郷ひろみアイデンティティーというものを、創り上げてきているのだと思います。
人には、会社と同じようにいいときも悪い時もあると思うのですが、その時々でも、自分が何をすべきか、自分のアイデンティティーを確立するためには何が必要かというものを考えています。」



俺は例えば「アーチーチー」を最初に聞いたとき、なに考えてんだと思ったんです。Ricky Martinの曲に何てことするんだと思ったんだけど、結果としてみれば当たったわけで。
そのヒットに感化された野口五郎は『君にメラメラ』を出したけど、所詮郷ひろみの二番煎じだったこともあってさっぱり当たらなかったわけで。でもそれは考えてみたら野口五郎のファンは野口五郎にそんなことを求めていなかったからだと。そういうことですよね。

この記事を読んだ時思ったのは、郷ひろみという人は、みんなが『郷ひろみ』という偶像に何を求めているか、そして何をやったら『郷ひろみ』らしいのか、そういうことを常に考えていたんだなと。
身体を鍛えてるのも、必要以上に肌を見せるのも、「イチ・ニ・サンバ」も「アーチーチー」も何の恥ずかしげもなくシラッとやってしまうのも、これがファンの求めてる『郷ひろみ』なんだという所でやっていたのだとしたら、意外とこの『郷ひろみ』という人はあなどれない人なんじゃないかと真剣に思ったんです。

それを考えると『松田聖子』もあなどれないということになるのか。なるほどなぁ。
このことはちょっと俺の中ではコペルニクス的転回なのです。